日本のギャンブラー 柏木昭男

柏木の人生

柏木昭男は1938年に生まれ、東京を拠点とする不動産投資家として財を築きました。彼は「ウォーリアー(戦士)」というニックネームでも知られており、ラスベガスやアトランティックシティのカジノで、多額の資金を賭けに注ぎ込んでいました。彼の人生や仕事に関する情報はあまり見つかっておらず、どの様な人生を送ったのかははっきりとは分かっていませんが、ギャンブルでの大勝利と大敗北はよく知られています。彼の友人たちによると、柏木は非常に古風で宝石類を嫌い、タイタックやカフスボタンさえも避けていたそうです。普段は青と白のストライプのシャツと、地味なネクタイといういでたちで、お金持ちのちょっと古風な日本男児の雰囲気を纏っていました。好物はうどんで、おしんこも自分で作っていたそうです。柏木は日本の文化と伝統をこよなく愛し、妻と3人の子供がいたそうです。

彼の事業

柏木は東京に事務所を構え、柏木商事という会社を経営していました。かなりの富豪で、年間数千億円の収入を得ていました。カジノ関係者の信用調査では、職業は「ビジネス」としか公表されておらず、財政状態についても謎でした。国際的犯罪組織であるヤクザと強いつながりがあったために、彼のビジネスや収入については記録が残っていないのでしょう。

ギャンブラー柏木

柏木は多額の資金をゲームにつぎ込みました。特にバカラが好きで、その腕はプロ級でした。一度に10万ドル、20万ドルを賭け、何時間もプレイするほどでした。1990年のアトランティックシティでは、柏木が1200万ドルを賭けようとしたため、法律に関与する問題となりましたが、たった2勝しかできず、結果的に1000万ドルを失いました。このように彼は、負けを恐れなかったため、「ウォーリアー(戦士)」と呼ばれるようになりました。アトランティックシティのトランプ・プラザ・カジノでは、バカラ史上最大の勝利と敗北を両方経験しています。1990年2月、一晩で600万ドルを勝ち取り、「バカラ史最大の勝者」の称号を得ましたが、同年5月には1000万ドルを失い、「最大の敗者」となりました。そんな彼がモデルになっているのが「カジノ」という映画です。

バカラについて
バカラは19世紀にフランスの貴族の間で流行したカードゲームで、多くのカジノでプレイすることができます。プレイヤーとバンカーが対戦し、手札を競います。ラウンドの終わり方には3つのパターンがあります。プレイヤー(プレイヤーが最も高いスコア)、バンカー(バンカーが最も高いスコア)、そしてタイ(引き分け)です。そのラウンドでのスコアが高い方が勝者となります。

1992年1月3日、富士山近くの自宅で柏木の無残な死体が発見されました。残酷な刺殺で、約150カ所の日本刀による刺し傷がありました。柏木は欧米でのギャンブルで、推定1900万ドルの借金を残していました。柏木の贅沢な暮らしを象徴するものの中でも特に特筆すべきは、「柏木御殿」 として知られる自宅用の豪邸でした。そんな柏木の生い立ちと死は、日本のバブル経済の象徴だと、コメンテーターは当時話していました。また、警察の捜査では、アパートに不審者が侵入した形跡はなかったと断定されました。彼の死は今もなお、謎に包まれています。